書評『検証 財務省の近現代史』

憲政の常道と大蔵省~政と官のあるべき姿とは~

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財務省-。旧大蔵省。
「我は富士山、他は並びの山」、「官庁の中の官庁」と豪語するほどの絶対的な権力を振い、日本の財政を一手に引き受ける日本随一の秀才ばかりが集うエリート集団。 
その一方で「増税省」「罪務省」「息を吐くように増税したがる」とも揶揄される彼ら。
 
財務省とは一体どんな組織なのか-。
日本の近現代史の中においてどのような役割を果たしてきたのか-。
 
大蔵省の近現代史を振り返ることで、「”真実の大蔵省(財務省)”を明らかにしよう」というのが本書の試みであると言えます。
そして、そこから垣間見えることは、大蔵省がいかに「憲政の常道」と深く関わっていたかという事ではないでしょうか。
  
■憲政の常道を支えた”最強のシンクタンク集団”
「革命なき革命」、「「世界史の奇跡」と言われる明治維新。
その本質は欧州列強に伍するために幕藩体制という地方分権体制を否定し、強力な中央集権を目指す動きであり、そんな中、新政府の一機関として大蔵省は産声を上げました。
  
当初は各藩がバラバラに行っていた徴税を一手に引き受けることから、予算編成を預かる主計局よりも徴税を預かる主税局が花形であったそうです。
しかし、時が流れるに従い主計局の権限が強まっていき、昭和4年の浜口雄幸内閣のときにその権力は頂点に達したと本書は指摘します。
  
なぜ主計局が強くなるのか。
その理由として、本質的に「議会政治とは大蔵大臣が中心である」ということが挙げられるように思います。
『保守の心得』(倉山満著)には次のように記されています。

実際、明治の元勲たちが目指したとされる立憲政治体制のモデルであるイギリスにおいては、議会制が始まった時の総理大臣の正式名称は「第一大蔵卿」でした。内閣とは国王の秘書集団だったからです。
やがてオレンジ公ウィリアムが王位に就くと閣議に国王が不在となります。彼はオランダ語しか話せなかったからです。このとき首席大臣として、総理大臣を務めたのが第一大蔵卿でした。大蔵大臣の仕事は第二大蔵卿が引き継ぎます。
つまり、大蔵大臣が中心に座り、予算を使って国家を動かす。これが議会政治の根本なのです。

  
実際、日本においても「憲政の常道」すなわち「二大政党による議院内閣制」という憲法習律が確立するために大蔵省をはじめとするキャリア官僚出身者は少なからぬ役割を果たしていました。
 

明治31年に初めて政党内閣として「隈板内閣」が成立しましたが、当時の内閣には政権担当能力はゼロに等しいという有り様。しかし、この後大蔵省をはじめとするキャリア官僚出身者がこぞって政党に参加するようになることで次第に政党による政権担当能力は向上していきます。

要するに、官僚出身者が出身省庁をバックグラウンドとした「シンクタンク」を形成することによって、政権担当能力が担保されていたというのです。 
   
元来、官僚という人たちは、自分たちの所属する組織の利益が国益と一致しているかのようにいうのが上手い人たちであり、本質的に国家よりも所属する組織への忠誠が勝ってしまいがちな人種です。
そのため、本来は政策立案能力も「政党自身」が持たなければなりません。
すなわち官僚に依存しない”自前のシンクタンクを持つ”ということです。
 

実際ヨーロッパの政党などは官僚機構に対抗できるシンクタンクを自前で揃え、勉強した政治家が出世するのが当たり前なのだそうです。
そう思うと、政党が自前のシンクタンクを養成することなく、官僚の政策立案能力に依存してしまったこと自体は、後々の「政党の当事者意識の欠如」という副作用をもたらす遠因を内包していたように思います。
  
とはいえ、本家イギリスがマグナカルタから数えて600年、イギリス革命から数えて200年かかって成し遂げた「憲政の常道」を日本はわずか50年で成し遂げました。
これほど短期間に成し遂げられた理由の一つに二大政党の政権担当能力の向上があったのだとするならば、官僚のシンクタンク化がその屋台骨を支えていたということも見逃せない事実なのではないでしょうか。
    
そう思うと「議会政治とは大蔵大臣が中心である」ことから、予算を司る主計局の権限が強まっていくのは至極当然のように思います。
実際、「戦前の昭和期には”軍部の暴走”があった」というのが通説ですが、大蔵省の予算権限の前に常にはじき返されていたのが実態であったことが本書『財務省の近現代史』では指摘されています。
  
■揺らぐ憲政の常道と大蔵省
”幕末以来の努力の精華”であった「憲政の常道」ですが、短期間にそれを成し遂げた反動というか、無理が生じていた側面があったことも否めませんでした。
  
それは「成熟した政党の不在」です。
憲政の常道を実現するには政権担当能力を有した政党の存在が不可欠なのですが、上述したように肝心要の政策立案能力を官僚に依存してしまったため、当の政党自身に「憲政の常道を護るのだ」という意識が希薄でした。
本来、政党が担うべき政策立案能力を官僚に”丸投げ”してしまっていたことが、そういう当事者意識の希薄化に拍車をかけた面は否めません。
 
戦前は、昭和天皇が内閣の代替わりの時、「明治天皇がお定められた憲法を守ること、外交で無理をしないこと、財界の安定を図ること」というお言葉を下される慣例があったそうです。
また昭和期唯一の元老であった西園寺公望自身は「財界の安定」を「自由主義経済の擁護」すなわち「日本を共産主義から守る強い指導力」と捉えていたと本書は指摘します。
 
にもかかわらず、”当事者意識の希薄な政治”によって「憲法(=憲政)をまもること、外交で無理をしないこと、財界の安定を図ること」、この三つは全てないがしろにされ、日本は戦争に突入していく様が本書では描かれています。
 
政治が混迷を極める中にあって、唯一の共産主義からの防波堤であった大蔵省も、馬場鍈一と近衛文麿の登場によって人事に手を突っ込まれ、極端な積極財政、恒久的な増税を押し付けられてしまい”歳出拡大と増税の無限ループ”の片棒を担がされる羽目になりました。
  
■"角栄の狗"と"おしんの恐怖政治"
上記の結果、敗戦後に至った戦後の日本の政治史、すなわちGHQ~戦後復興~バブル、そして現代に至る政治史を大蔵省の近現代史を通して概観すると、
  
-憲政の常道を理解する政治家が政権を担っているときは、日本は経済成長し、大蔵省も発展してきた。

その一方、憲政の常道をないがしろにする政治家が政権を担っているときには、日本は停滞し、大蔵省も疲弊した。-
 
こう捉えることができるのではないでしょうか。
 
『日本国憲法を改正できない8つの理由』(倉山満著)においては、前者の代表例として吉田茂元首相や池田勇人元首相が取り上げられています。 
特に池田勇人は大蔵省次官から政治家に転身しやがて総理大臣となった政治家であり、池田をモデルにしたマンガ、「疾風の勇人」も週刊モーニングで好評連載中のようです。
  
その逆に”憲政の常道をないがしろにしてきた政治家”は星の数ほど存在しているというのが頭が痛くなるところですが、財務省(大蔵省)との関わりで言えば、田中角栄と竹下登、そして近年においては小沢一郎の三人は外せないでしょう。
  
田中角栄について言えば、確かに政治家として初めて大蔵省の「埋蔵金」を見抜いたその眼力は大したものですが、「人を金で買う」がごとき手法で大蔵省内に「私兵」を増やし、大蔵省人事に介入していきます。 
  
角栄の私兵として次官に成りあがった(成り下がった?)人物として鳩山威一郎(鳩山由紀夫元首相の実父)、相沢英之(現・麻生派顧問)、高木文雄の3人がいますが、角栄に言われるがままま当時の経済状況を無視した放漫財政を推し進め、財政のタガを大きく狂わせます。
たしか『百兆円の背信』(塩田潮著)には、インタビューに応じて当時のことを振り返る相沢氏らの言葉が掲載されており、あまりの臆面の無さに「まさに角栄の狗だな」と感じたことを覚えています。
   
そんな角栄に対抗すべく、大蔵省が頼ったのが当時「ニューリーダー」として力を付けつつあった竹下登でしたが、その竹下が角栄に輪をかけた「怪物」だったのが大蔵省にとっての悲劇であると言えます。
長年、田中派の後継者と見られていながら、頭をおさえられ耐え忍んでいたため、NHKドラマ「おしん」になぞらえて「政界のおしん」と呼ばれることもあった竹下登。
 
『自民党の正体』(倉山満著)では「竹下支配-万人恐怖の超権力者」と題して、いかに竹下の恐怖政治が凄まじかったかということが描かれていますが、まさに「三木武夫と田中角栄の悪いところだけを足したような恐怖の超権力者」というのが竹下の政治家としての本質であり、「おしんの恐怖政治」に最も痛めつけられたのが大蔵省でした。
  
その極めつけは斎藤次郎事務次官以下、主計局人脈への報復でしょう。
霞が関ジャーナリストの岸宣仁さんの一連の著書によれば、ロッキード事件以降、政治スキャンダルが続いていたにも関わらず、政権交代すら起こらない、ダラダラと続く自民党一党支配に対して、大蔵省内にも閉塞感のようなものが漂っていたそうです。
また、斎藤事務次官以下、”斎藤組”と称される当時の幹部達は、バブル全盛という時代背景もあるのか、性格的にはイケイケドンドンの”勢い重視”のメンツばかりでした。
 
そこに無敵を誇る竹下に、一時的にせよ勝利し、非自民党政権を樹立した人物が現れました。それが小沢一郎です。当時の世間が「新党ブーム」に浮かれたように、当時の主計局主流派も熱に浮かされたように「脱自民」に走りました。
これは大きな賭けでしたが、結果的には読みを間違え、「国民福祉税構想」での細川総理の”腰だめ発言”に端を発し、国民の支持を失い、あえなく玉砕しました。
  
これはこれで当時の経済・政治情勢を掴みきれていなかった大蔵省の自滅という感もありますが、そこからの竹下の報復も凄まじいものがあります。 
結局、斎藤次郎の流れを汲む主計局主流派は軒並みスキャンダルにまみれ失脚し、竹下の秘書官を務めたものが全員事務次官の地位に就くなどの角栄ばりの壟断人事がまかり通るようになり、ついには行政改革の名のもと大宝律令以来の「大蔵」の名すら取り上げられ、現在の「財務省」に至ります。
 
■小沢一郎「公にされることは永久にあり得ぬ共同作業」
2016年の暮れに出版された書籍に「正義とユーモア」という本があります。
これは2014年7月に財務事務次官となり、退任直後の翌年8月に58歳の若さでがんで亡くなった香川俊介次官の追悼文集として発行されたものです。(※注文販売形式であり、一般販売されていません)
 
生前の香川事務次官は「雲隠れした小沢一郎に唯一連絡をとることができる男」として知られていた財務官僚でした。
その香川事務次官の追悼文集に、小沢一郎氏は「公にされることは永久にあり得ぬ共同作業」と題して、次のような内容を寄せていました。
 
小沢氏と香川事務次官との出会いは竹下内閣が成立し、小沢氏が内閣官房副長官に任じられたときに始まります。その時小沢氏についた秘書官二人のうちの一人が香川事務次官だったそうです。
既に国務大臣を経験していた小沢氏が政務次官級の副長官になるというのは戦後三人目という異例の人事であり、副長官の重要性が増していたこともあって特に秘書官をつけてもらうことになったそうです。
 
そこから、
「政局の最もドロドロした機微に触れる仕事に二人三脚で取り組むことになった」
 
「通常の秘書官では経験のできない、また普通の役人の場合は関わることを良しとしない類の仕事をするはめになった。しかし、彼はいつも嫌な顔一つせず、正真正銘の秘書官として正に一心同体で働いてくれた」
と小沢氏は述懐します。

「彼と私の共同作業は、まさにその時から連日連夜地獄の苦しみ、とまではいわないが始まった。」
 
「残念ながら具体的な内容については政治史の中で公にされることは永久にあり得ないものばかりである。」
 
「消費税の導入がなったのも、彼が私の手足となり、時に知恵袋となり支えてくれたがゆえであると言っても過言ではない」
 
「彼にまつわる細やかな思い出をつづれば、紙面がいくらあっても足りない。彼との友情・信頼関係は、その後も揺るぎなく続いていたと私は思っている。」

  
そして自身の秘書官として働いたが故に「彼の役所での業務や人事等に何らかの支障が出るのではないだろうかと常に心配であった」と。
  
それは、「10年に一度の大物次官」と言われた斎藤次郎事務次官あるいは「斎藤組」と称された斎藤次官の子飼いの官僚たちが小沢氏とともに「国民福祉税」構想をぶち上げたが故に、その後の官僚人生で不遇を囲ったことが脳裏に焼き付いていたからであるように思えます。
 
■あるべき政治と官僚の姿とは
この寄稿文で吐露している小沢氏の心情は嘘偽りのないものなのでしょう。
ですが、一方で「このような政治家と官僚の間に運命共同体ともいうべき関係が、果たして本当に必要だったのだろうか」との疑問も湧きます。
 
明治時代、新政府による国制の構想・設計のために当時の政府要人がこぞって教えを請いた人物にローレンツ・フォン・シュタイン博士がいました。
そのシュタイン博士の提唱した国家学の真髄を記した「シュタイン国家学ノート」にはこのように記されています。
 

言葉の真の意味での「官職(アムトオフィース)」とは国家組織の一部である
国家の権力はそれを媒介にして実現される。
自立した働きや自覚した存在をもたない隷属した用具が、最重要の国務を遂行することなど決してできない。
(中略)
このようにして官僚たちのなかに「国家的生の意識」が芽生え、彼らが単なる「役人」から言葉の真の意味での「公僕」となることが期待される。その時、官僚は「立法府や君主に依存した機械的装置」であることをやめ、「独立の自律的運動体」となるとされる。


 
「官僚は立法府や君主に依存した機械的装置であることをやめ、”独立”の自律的運動体でなければならない」
これはある種の政治家と官僚の緊張関係の必要性を示唆しているのではないでしょうか。
 
政と官、各々が独立した自律の運動体として併存しながらも、国策を推し進めるために調和する。
すなわち”対立しながらも調和していく”という姿があるべき国政のあり方として提示されていると言えるように思います。
 
現に、消費税という政治の中心、その最も深いところに携わることになった香川事務次官は、消費税導入が実現された後、出向先の英国にて「政治家と官僚 日英比較研究」という論文を書いたと言われています。
その要旨は「政と官にもっと競争を導入し、統治システムの質を高めよ」と説くものであり、「将来見据えた政策決定をするのは官僚ではない」「閣僚は官僚にはない決断力や実行力を持て」と果敢に提言するものであったそうです。
 
それはまさに、憲政の常道の下、政治が強いリーダーシップを発揮し、大蔵省、それに続く日銀が自律した運動体として併存しながらも調和することで高度経済成長を実現した池田勇人時代をあるべき姿として見ていたものに他ならないような気がします。
 
どうしても官僚というものが世間を賑わせるのは決まってスキャンダル、不祥事を起こしたときであり、その一面だけを切り取ると即、「給料カット」「公務員定数削減」のような批判的論調になりがちです。
 
そうではなく、官僚が単なる「役人」から言葉の真の意味での「公僕」となるためには、どうあるべきか、そのためのあるべき政治の姿とは何なのかということを考えるキッカケを与えてくれた一冊になりました。
 
おススメです!

 

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